huurin9045’s blog

心霊体験と日々のゴロニャン生活

霊能者選びの基準ってなんだろう?

こんにちは、風鈴です。

まぁ、毎回自分の体験談を書かせてもらってますが、個人的にはあくまで、心霊関係否定派なんです。

まぁ、色々ありましたし、そろそろ観念する時が来た感じですけど。

小さい頃から、不思議な体験してきたので、まぁ、そろそろ、なんですかね~。

前のブログでも書きましたが、こんな体質なので、不仲の母にも、いろんな霊能者や霊媒師や、気功の先生やらに連れて行かされました。
お会いしましたが、何せ人間不信な上に、心霊否定派だったので、まず、何があったかは先生方には話しません。

ホントの力がある人なら、言わなくてもわかると思ってましたし。

まぁ、大抵の方は、誘導尋問で揺さぶって、話を聞き出し、それらしい事を助言してきます。大体の人は、その人が言ったことが助言になり、自分の体験や状態を当てはめると、それらしく思えるものです。

その手の勉強をしてる方々の、手段です。巧妙に相手から情報を得て、あとは統計にのっとった手法を付け加えるだけです。相手が傷つかない程度に。

約10人ぐらいの先生方に見てもらいましたが、私が半分だけ信じられる先生は、2人ですね。まだ半分だけしか信じてませんけど。

まず1人目は、付き添いで行った占い師の方で、出会って早々に、依頼者の叔母に暴言を吐きました(笑)

『あなたには聞く耳がないから、話す気は無い。時間の無駄だし、あなたもお金の無駄だから、帰った方がいい』って。

風鈴はかなり感心しました。
とにかく、人の事より自分の利益しか考えない叔母でしたし。

叔母は激怒して帰るハメになりましたが、風鈴は気になっている人でした。

普通は、お金儲けのために、そこまで言い切らないからです。

数年後、偶然か運命のいたずらか、その先生に会う機会がありました。
その時も、またほかの人の付き添いでしたが、終わった後に、先生が呼んでいるからと、予定外に見てもらう事に。

勿論、私は何も話すこともなかったし、なぜ呼ばれたのかも、『お金稼ぎか』と少しガッカリしてました。

ところが、席に着くや否や、私を見つめてため息をつき、『修行してみる気はないか?』と言われたんですよ(笑)

目が点になった風鈴に、先生は続けて言いました。
『あんたは、死と近すぎる。』って。
『今まで、生きてる意味を感じなかった苦労は、聞かなくてもわかる。どうにも逃れられないなら、修行をして、もう一度力を身につけなきゃならない。』とも。

そこで、前世の話もされましたし、これからの生き方の方針も話されました。

その時、滝の映像と共に山篭り、半年って言葉が頭に響きました。

すると、先生が、『やっぱり山篭り半年は無理だよね、今の状況じゃ』って。

まるで頭の中を見透かされてるみたいに。

とにかく、疑り深い風鈴は、だんまり決め込むことにしました。

すると、先生はこう言いました。

『今回はお金を取る気は無い。危ないと思ったから声をかけた。私を信じるのは、今から言うことを、親戚全員にでも聞いて、本当だったらでいい。』

勿論、その提案にのりました。

先生は、なんの本も開いていないし、紙も鉛筆も持っていませんでした。

先生が話したのは、この三つです。

①風鈴の祖父は長男じゃない(三男)
②世が世なら、風鈴は武将だった。
③母親との確執は、風鈴のせいじゃない。

そして最後に優しく
『今まで辛かったね。でも、もういいんだよ。頑張らなくても』と。

何故か、風鈴は泣いちゃって、泣き止むまで先生は手を握ってくれてました。

一緒に付き添った人に、家庭の事情は話してません。

風鈴は、次の日に早速祖父に聞きました。
勿論、祖父は長男だと聞いていたし、風鈴の実家は農家です。

ところが。

話をした風鈴に、口数の少ない祖父は、空を見上げて数分考えた後、こう言いました。

『風鈴のひいじいちゃんは、元は没落した武家の庄屋の長男だった。』

『家同士の決めた婚約者が居たが、奉公人の娘と駆け落ちして、この土地に来た』

『じいちゃんには、上に2人の子供が生まれたが、生まれてまもなく死んだ子と、死産の子がいた。どちらも男の子だった』

祖父以外、誰も知らない事でした。

祖母も、ましてや、風鈴の両親も。

風鈴は先生にアポを取り、ことの真相を告げました。
生年月日も名前も言わないのに、なぜそこまでわかったのか聞いたら、あっさり言われました。

『多分あんたの守護霊である、そのひいおじいちゃんが、全部話してくれた』って。

ひいおじいちゃんが守護霊かは、風鈴にはわからないけど、祖父が隠してた秘密はドンピシャ。

料金を払おうとした風鈴に、先生はもう一つだけ助言をくれました。
ドリンクバー1杯で(笑)

『あんたの守護霊様は、生前、先生と呼ばれていた。だから、あんたもどんな形であれ、先生と呼ばれる仕事に転職しなさい。でないと、この先ずっと危険な目に遭うから』

確認したところ、ひいじいちゃんは、相当なボンボンで、昔なら今の大学まで出ていて、駆け落ちして小作人として田畑を借り苦労しながら、整体や接骨院のような事もして生計を立てていたみたい。

言われた通り『先生』と呼ばれていたみたい。

まぁ、風鈴はいまだ、先生と言われる職業にも、修行もしてません。
だからでしょうかねぇ、危険な目に合っちゃうのも。